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昨今、「自殺できないので死刑になりたくて」無差別殺人を犯す馬鹿がよく湧くので、周囲を巻き込まない様に安全に自殺して頂いた方がいいんじゃないでしょうか?
個人的には社会構造として自殺に至る要因を減らす努力は必要と思いますが、個別の自殺を無条件に防ぐべき、と言うのは何処かでコンセンサスがあるんですか?私は(前述の様に)自殺が当人の取り得る選択肢の中で一番マシな場合もあると言う認識ですが、専門家と称する一部のヒトが思考停止して独善的かつ一方的に宣言したものを、思考停止して無条件に受け入れるべきだとは思わないのですが、
(前略)/.-J や 2ch やあるいは他のネット上のメディアによって、マスコミの報道や、ネット上の害のある情報に対する、カウンターを仕掛けることはできないでしょうか?
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
被害の拡大を防ぐには (スコア:0, 余計なもの)
「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告にあるガイドライン
するべきこと
・自殺の代わり(alternative)を強調する。
・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について、 記述する。
するべきではないこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。
からわかるように、「硫化水素により自殺」と報道することはよいこととは思えません。自殺を企図する人間が減れば、自然、巻き込まれる人も減ると思うのですが。
Re: (スコア:0, フレームのもと)
昨今、「自殺できないので死刑になりたくて」無差別殺人を犯す馬鹿がよく湧くので、
周囲を巻き込まない様に安全に自殺して頂いた方がいいんじゃないでしょうか?
個人的には社会構造として自殺に至る要因を減らす努力は必要と思いますが、
個別の自殺を無条件に防ぐべき、と言うのは何処かでコンセンサスがあるんですか?
私は(前述の様に)自殺が当人の取り得る選択肢の中で一番マシな場合もあると言う認識ですが、
専門家と称する一部のヒトが思考停止して独善的かつ一方的に宣言したものを、
思考停止して無条件に受け入れるべきだとは思わないのですが、
まずはニュース番組やワイドショーの見直しから(Re:被害の拡大を防ぐには (スコア:2, すばらしい洞察)
このような「周囲を巻き込んだ自殺としての殺人」を行う人の病理を見ると、社会の病理・それも当時はタブーとされていて直視が容易でない事が事件を引き起こす過程に強く影響しています。
ある意味、彼らは社会の危機を叫んでおかしな方向に行ってしまった「カナリア」ですよ。
自死としての犯罪行為で泣き叫ぶ事で、この社会の行く先を垣間見せてくれる。
彼らに病名をつけたり、「安全に自殺しろ」と「正論」を述べるだけならば簡単ですが、その先にある本人の抱える病理を形成した社会的な背景や状況を直視することこそが最も重要ですよ。
この手の社会的な病理が影響する病や事件は連鎖反応的に「伝染」します。
この場合、隔離は得策ではなく、社会的な病根を断ち・病気に罹った者の回復を社会が積極的に支援することでしか「感染」の拡散や継承は阻止できないと思いますが。
# 論点が逸れた(とは言え書く必要を感じた)ので、以下、本題に戻します。
今問題になってるのは、自殺しなくていい人=他の選択肢がまだ残っている人まで自殺に追い込まれたり安易に自殺という選択肢を行うことがあまりにはびこりすぎている事と、自殺者が年間三万人前後(交通事故の年間死者の約三倍)で減少しない上に、自殺行為を減少させるための行政や企業などの努力が交通事故程にも出来ていない「非常事態」であるからではないですか?
こういう状況下で、影響力のおおきなマスコミが火に油を注ぐかのように、ニュース番組で自殺の具体的手法のヒントを無選別に流しているのがお咎めなしでずっと続いてるが最大の問題ではないですか?
硫化水素にせよ一酸化炭素にせよ、少しだけ化学の知識があれば材料を調達したり自分でアレンジしたり出きるところまで報道する一方で、自殺せずに文化的に生きていく手段の推奨や自殺者をこのように追い込んでいる根本原因を報じて糾す事は控えめにされている。
# 血や自殺とともに政財界・とりわけ力のある政治家と大企業のスキャンダルがマスコミタブー化
# している現状と自殺したいという意志がマトモに抑止されないのは、数HOP程度の距離があるけど、
# 紐解いて解析すると、明白に関連性がありますよ。
# 「勝ち組」がもてはやされていたここ十年弱、その裏で「勝ち組」になれずに「負け組」
# となった人の悲観や諦観をその「勝ち組」報道自体が煽ってきたように、
# よくよく考察するとたくさんつながりますよ。
自殺の手法のヒントを四六時中流すならば、その時間を自殺を回避できるかもしれない人達に「別の選択肢があるかも知れない。苦しいときに公や民間組織を頼るのは恥ではない。逃げ道は幾らでもある」と啓蒙する時間にそっくりそのまま割り当てるだけでも、相当な自殺抑止の効果が出るはずです。
人間、哀しいけど、刷り込みに弱いんですよ。
自殺や殺人、それも現実に最近起きた事件の話を「悪だ」という名目で、四六時中おもしろおかしく報道しつづけていたら「そんなことでもやってもいいのかもしれない」って思い込む場合が少なからずある。
もう片方の両極端にある自殺回避と言う「手段」を見せる報道は、あまりに少なすぎて、中身もお堅い。
そうなれば、自殺という選択を行うか行わないか葛藤し続けてきた末に結論を出そうとしたときにどちらが頭に残りやすいかは明白ですよ。
最終的には、普通に流布しやすい情報のアンバランスが直接の引き金。
ある人が自殺するかしないかで葛藤する前に、そのように追い込まない努力もまともに為されていません。
個人から政府・企業までどこに於いても。一部で努力があっても、他のエゴがその努力を無力にしてしまっている。
こんな状況で、自殺したい奴は自殺しろ。と言うのは無責任すぎやしませんか?
Re:まずはニュース番組やワイドショーの見直しから(Re:被害の拡大を防ぐには (スコア:1)
>社会の病理・それも当時はタブーとされていて直視が容易でない事
>ある本人の抱える病理を形成した社会的な背景や状況
>この手の社会的な病理
>社会的な病根
とは何なのでしょうか?
# マスコミが自殺を推進するような報道をすることには反対です。
Re:まずはニュース番組やワイドショーの見直しから(Re:被害の拡大を防ぐには (スコア:1, すばらしい洞察)
「なので情報封鎖しましょう」と言う結論ならば飲めません。
それに、巻き込まれて死ぬのは御免ですし、身近なヒトが巻き込まれるのも嫌。
責任を認識した上で「無責任に周囲を巻き込まない様に」と言う意図で書いたのですが、
それに対するアンサーをキッチリ回避して無責任呼ばわりですか。
ずいぶんな話しだなぁ...。
> 今問題になってるのは、
「巻き込まれたくないよね」って話ですよね。
少なくとも、/.Jのこのストーリーが最初に示したのは、
> このような「周囲を巻き込んだ自殺としての殺人」を行う人の病理を見ると、
> 社会の病理・それも当時はタブーとされていて直視が容易でない事が事件を引き起こす過程に強く影響しています。
日本語でおk
Re: (スコア:0)
ただ、マスコミの報道に難があるとしても自浄作用はまったく期待できませんし、「してはいけません」。世の中の多くの人は、テレビに向かって愚痴を言う事によって、マスコミの報道という消費型の娯楽を堪能しています。ネット上でもマスコミに対する愚痴を言う事によってガス抜きをさせられています。その状態では良い方向には進むことはありえないでしょう。
/.-J や 2ch やあるいは他のネット上のメディアによって、マスコミの報道や、ネット上の害のある情報に対する、カウンターを仕掛けることはできないでしょうか?
受け身のテレビ自分で選ぶネットや書籍な現実を踏まえて(Re:まずはニュース番組やワイドショー (スコア:1)
まず、マスコミというかテレビやラジオの大半の使われ方は非常に受動的と言うか、「偶然つけている」「日課で何となくつけている」から情報が勝手に入って来ますが、ネットや書籍なんかの場合には、受け手に能動性が求められますから。
ある趣旨の情報にアクセスする目標があって始めて、特定の情報を受け取ることが出来る。
# 例外があるとすれば、ニュースフラッシュの様にブラウザなり携帯なりを待機画面にしていると勝手に情報が表示される場合ではないかと。
この、受け身で済むかどうかという辺りでの刷り込まれ方の格差は激しいですよ。
エロエロな本やゲームやビデオですら、能動性と言うか明確な目的意識がアクセスに必要になりますが、テレビはとにかくつけておけば何か流れている。
そこで流れている内容というのは、「ながら」で受け取ってるだけに、逆に往々にして潜在意識への影響力を大きく持ちます。
特にマスコミへの信頼度が非常に高い現在の日本では、最大のマスメディアである地上波テレビの影響力は非常に高い。
極論を言えば、(地上波)テレビを経由した刷り込みに対抗可能な媒体は、ない。あるとすればマウスツーマウスと言うか対面での口コミが対抗媒体化できる可能性がある程度だと認識するしかないのではないかと最近思っています。
で、そうなると、現在に於いての政財界の主流派がそうであるように・過去に於いてのPTAがそうであったように、組織的にマスコミ自体に書面や報告書や直接交渉などで「煽るのを止めよ」と
圧力をかけて説得を行っていくしかないと思いますよ。ネットや新聞の投書欄でボヤいていてもしょうがない部分が確実にあるというか、報道一つ一つに対して粘り強く、放送局やBPOに抗議を続けていくしか現実に今すぐ可能でなおかつ実際の影響力を行使できる可能性がわずかでもある手段はないのではないか。と思いますよ。
上記の理由から、ネット検閲がなくても非常に効力が限定されますし、ネット検閲が広範に渡っていく直近の未来を想定すると無力化され兼ねないとはいえ、ネットでやるとすれば地道に、なおかつなるべく目立つように対抗言論を伝えていくしかないです。
一つには、SEO込みで目に止まりやすいように工夫されたサイトなどで、多様な意見や思想が存在する事を示していく事です。YouTubeあたりを巧く使う手法もこれに含まれます。
具体的には、自殺や差別や政治的憎悪・そして過剰な浪費を煽るサイトや団体でも特に話題にされやすい所がなんで、人目を惹きつけてある種の共感を一定数獲得してしまうのか?その手法論から、逆に我々が学んでアレンジして自分のものにする必要が非常に強くあると思います。
もう一つには、コミュニケーションポータル系のサイトや企業と提携して広報を行う。バナー広告や一行広告のように読む側に受動性を要求する部分に直感に訴えるメッセージやサイトへの誘導を組み込んでいくと言うのが今思いつく中でわかりやすい例です。
…他にも色々と考えは出そうですが、最終的にはマスコミや行政・メディア企業などの内部にできるだけ多くの「味方」を作って、対抗情報自体の受動的な媒体への露出を増やす事自体が我々が行える、直接行動以外でのもっとも効果的な手法になると思います。