アカウント名:
パスワード:
>つまり、考えられる限りのあらゆる攻撃からシステムを守ろうとするのではなく、これまでの攻撃及び今にも仕掛けられそうな攻撃への防御に集中せよ、ということだそうだ。「守りて必ず固きは、その攻めざるところを守ればなり。」「備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。」(孫子 虚実篇)
今はすっかり人海戦術の国になってしまって…
引用してるタレコミ文:考えられる限りのあらゆる攻撃からシステムを守ろうとするのではなく、これまでの攻撃及び今にも仕掛けられそうな攻撃への防御に集中せよ
文意:(人的/時間的/マシン的)資源に限界があるんだから、全部を守ろうとせず攻められそうなところに注力しろ。
数千年前の中国人はすでに知っていたこと、として引用している文守りて必ず固きは、その攻めざるところを守ればなり。
文意:攻めてこないところも守ってるからこそ固い。
意味、逆だよね?
備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。
の方はタレコミ文の主張と同じだけど。
>逆いろいろ解釈当たったんですけど、・「攻めてこないところも守ってるからこそ固い。」では逆に「攻めてこない(守る必要のない)ところまで守っていては守りの手が足りない=弱い」となるはず・「攻めてこないところを守ってるから負けない」と直球ではあんまりだもんで・攻め手が「あ、こりゃダメだ」と攻めたくなくなるところで守ってるから負けないという解釈になるんだとか。
相手の攻め方を読んで攻める気を無くさせる防御をするってことなら文意に沿うかなと。(というか中国の古典って読み方次第で180度違う解釈になるのはよくあることのようなw 孫子の注釈書なんて中国史ちょっと繰っていくとぽろぽろ出てきますし…)
もう少し前後の文脈を見てみると:
攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。ゆえに善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。
「攻める時は敵が守ってないところを攻めよ」と対になっているから,「守る時は敵が攻めてきそうにないところでもしっかり守れ」と解釈する方がしっくりくるなぁ。
でもそれだとやっぱ、同書の同篇にある言葉である>備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。と矛盾する気がするんですよねえ。
#それこそ世界各国で解説書書きがご飯の種にしてるテーマですし、#堂々巡りになりそうなので「私の解釈はこれだ」ってことで打ち切ります。
虚実篇は情報戦的概念が背景にあるので
> 攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。> 守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。> ゆえに善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。> 善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。攻めに成功するのは相手が『ここには攻めてこないな』と守りを手薄にしてるところ攻めるからである。守りに成功するのは相手が『ここを攻め落とすのは無利だな』とそもそも攻撃を仕掛けてこないところを守るからである。(だから情報を管理・操作して相手にそのように思わせるのが肝要である。)ゆえに攻めの上手い者とは相手にどこを守ればいいのか的を絞らせない者である。守りの上手い者とは相手に(どこも守りが固くて)攻めどころがないと思わせる者である。
というところでしょう
俺もあなたの意見に賛成なんだけど、作者はどっちとも取れるように書いたと思うんだ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
数千年前の中国人はすでに知っていたこと (スコア:1)
>つまり、考えられる限りのあらゆる攻撃からシステムを守ろうとするのではなく、これまでの攻撃及び今にも仕掛けられそうな攻撃への防御に集中せよ、ということだそうだ。
「守りて必ず固きは、その攻めざるところを守ればなり。」
「備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。」(孫子 虚実篇)
今はすっかり人海戦術の国になってしまって…
RYZEN始めました
違わね? (スコア:1)
引用してるタレコミ文:
考えられる限りのあらゆる攻撃からシステムを守ろうとするのではなく、これまでの攻撃及び今にも仕掛けられそうな攻撃への防御に集中せよ
文意:(人的/時間的/マシン的)資源に限界があるんだから、全部を守ろうとせず攻められそうなところに注力しろ。
数千年前の中国人はすでに知っていたこと、として引用している文
守りて必ず固きは、その攻めざるところを守ればなり。
文意:攻めてこないところも守ってるからこそ固い。
意味、逆だよね?
備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。
の方はタレコミ文の主張と同じだけど。
Re: (スコア:1)
>逆
いろいろ解釈当たったんですけど、
・「攻めてこないところも守ってるからこそ固い。」では逆に「攻めてこない(守る必要のない)ところまで守っていては守りの手が足りない=弱い」となるはず
・「攻めてこないところを守ってるから負けない」と直球ではあんまり
だもんで
・攻め手が「あ、こりゃダメだ」と攻めたくなくなるところで守ってるから負けない
という解釈になるんだとか。
相手の攻め方を読んで攻める気を無くさせる防御をするってことなら文意に沿うかなと。
(というか中国の古典って読み方次第で180度違う解釈になるのはよくあることのようなw
孫子の注釈書なんて中国史ちょっと繰っていくとぽろぽろ出てきますし…)
RYZEN始めました
Re:違わね? (スコア:0)
もう少し前後の文脈を見てみると:
「攻める時は敵が守ってないところを攻めよ」と対になっているから,
「守る時は敵が攻めてきそうにないところでもしっかり守れ」と解釈
する方がしっくりくるなぁ。
Re:違わね? (スコア:1)
でもそれだとやっぱ、同書の同篇にある言葉である
>備えざる所なければ則ち寡なからざる所なし。
と矛盾する気がするんですよねえ。
#それこそ世界各国で解説書書きがご飯の種にしてるテーマですし、
#堂々巡りになりそうなので「私の解釈はこれだ」ってことで打ち切ります。
RYZEN始めました
Re:違わね? (スコア:1)
虚実篇は情報戦的概念が背景にあるので
> 攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。
> 守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。
> ゆえに善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。
> 善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。
攻めに成功するのは相手が『ここには攻めてこないな』と守りを手薄にしてるところ攻めるからである。
守りに成功するのは相手が『ここを攻め落とすのは無利だな』とそもそも攻撃を仕掛けてこないところを守るからである。
(だから情報を管理・操作して相手にそのように思わせるのが肝要である。)
ゆえに攻めの上手い者とは相手にどこを守ればいいのか的を絞らせない者である。
守りの上手い者とは相手に(どこも守りが固くて)攻めどころがないと思わせる者である。
というところでしょう
Re: (スコア:0)
俺もあなたの意見に賛成なんだけど、作者はどっちとも取れるように書いたと思うんだ。