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「決められた基準」を超えて、「企業の社会的責任」「企業倫理」を追求しつづけた平井氏の姿勢
リスクを評価した結果安全側に倒した方が得になるって判断したんでしょ。その判断は素晴らしいと思うが倫理とか社会的責任の問題じゃないよ。
得になったというのは結果論ですね。
発電所は国の基準を満たし、保安院の検査をパスすれば稼働できるので、それを超える設備を要求し通すというのは個人の努力によるところが大きいと思いますね。数百年に1度の大災害というような長期的スパンで物事を考え判断する個人や企業は滅多にいません。
ただ、
>「企業の社会的責任」「企業倫理」を追求しつづけた平井氏の姿勢
という個人の美談に頼るシステム、企業の社会的責任、企業倫理といった曖昧な概念に頼るシステムは危険でしょうね。私企業というのは与えられたルールの中で利益を最大化するように行動する機械で、それに倫理や社会的責任を求
> 私企業というのは与えられたルールの中で利益を最大化するように行動する機械で、> それに倫理や社会的責任を求めるのは、まあナンセンスだろうなと。
三方よしって知ってる?
それが蔑ろにされている世の中じゃぁ(法や規制で縛るって事になっても)仕方ないよね、っていう意見でしょ。世の中には(しかもグローバル化で果てしなく広くなっちゃった世界には)、色々な人や考え方があるって事ですよ。かつての近江商人の心意気が素晴らしいものであったという事は事実ですし認めもしますが(いや寧ろ個人的には大好きな考え方ですが)、今の世の中は、それをコストとして商品価格に乗せることが常識という世界ではないようですから。悲しいことですよね。
近江商人が活躍した時代でも、利害関係は一筋縄ではいかないものだったと思います。それをひっくるめて「世間よし」に込めた見識はなかなかだと思いますし、実際、周囲を蔑ろにする商人も少なくなかったでしょうから、理念として今まで伝わっているのだと思います。
AIJなどを見るにつけても、法律や規制で縛るというにも限界があるでしょう。システムとして完全なものは望むべくもなし、やはり規制と啓蒙の双方にバランスよく頼る社会を目指すべきだと思います。その意味で、安易に規制に頼ろうとする考えにも危惧をもちますね。
#212949 [srad.jp]のACです。
システムとして完全なものは望むべくもなし、やはり規制と啓蒙の双方に
嫌みでも何でもなく、それが理想ですよね。全くもって同感です。
ホントなら、法律やら規制やらがなくてもスムーズに廻ってくれれば何にも言うことなし、なんですけど。でも、人間って生き物は、そういうレベルには行き着いていないし、おそらく本質的にそういう生き物ではないのでしょう。だからこそ理念を掲げたり啓蒙したり、それでも間に合わなくて法律を作って執行し、規制を作って制限を掛けざるをえない。
# これを、様々な考えがある中で利害や感情の対立を解消する「立派な知恵」と見ることも出来ますし、その通りだとも思いますが、# もっと掘り下げれば「要らない知恵」でもあるのではないか…などと思ってしまうのは、まぁ中二病チックな理想論として(笑)。
ただ、かつての近江商人とは違って、今の商人は、隣近所に野菜を供給するだけの八百屋ですら、世界レベルの戦いをしなきゃいけないんですよね。例えば隣の街に大規模店舗が出来たり、国外からの卸売りや小売が進出してきたり…(某コストコの進出なんかもありがたいやらありがたくないやら。笑)。言ってみれば、その考え方を啓蒙しなきゃいけない世間の広さが昔とは桁違いに広がっているんですよね。なので、法規制は最後の手段だったとしても、その閾値はかつてのローカルレベルでの商行為がメインだった時代よりも大幅に下がらざるをえないのではないか、というのが私の意見です。地球上に国境が存在し、国毎に様々な考え方や教育があり、教育のベクトルもレベルも様々である以上、その地球上での共通のルールというのは、モラルが一番高いところではなく一番低いところにあわせざるをえない…という感じでしょうか。
元の話題に戻れば、(件の電力会社が誰と戦い、誰の利益を守るのかはさておいて)ある程度の規模の企業(おそらく近江商人の事業規模よりも大きいものでしょうし、構成人員も多くなることでしょう)に対して、理念や啓蒙だけで良い方向に進むように仕向けるというのは、ちょっと難しいような気もします。なので、仰るように闇雲に規制に頼ることは避けつつも、やはりある程度の規制で「理念」を実現するように仕向けざるをえないんじゃないかなぁ…という元コメの意見にも賛同せざるをえないというのが悲観的な現実なのかもしれません。あまつさえ、対象の企業が「権力者とズブズブで、自身に都合の良い規制自体を作り出せる側で、地域独占を権力者から許された企業である」という事実を見てさらに悲観的になってしまうのは、私が「権力は必ず腐敗する」という歴史認識を持つ人間だからなのかも知れませんが…。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
無理やり美談に仕立て上げなくても (スコア:1, 参考になる)
リスクを評価した結果安全側に倒した方が得になるって判断したんでしょ。その判断は素晴らしいと思うが倫理とか社会的責任の問題じゃないよ。
Re: (スコア:5, すばらしい洞察)
得になったというのは結果論ですね。
発電所は国の基準を満たし、保安院の検査をパスすれば
稼働できるので、それを超える設備を要求し通すというのは個人の努力によるところが
大きいと思いますね。数百年に1度の大災害というような長期的スパンで物事を考え
判断する個人や企業は滅多にいません。
ただ、
>「企業の社会的責任」「企業倫理」を追求しつづけた平井氏の姿勢
という個人の美談に頼るシステム、企業の社会的責任、企業倫理といった曖昧な
概念に頼るシステムは危険でしょうね。
私企業というのは与えられたルールの中で利益を最大化するように行動する機械で、
それに倫理や社会的責任を求
Re: (スコア:0)
> 私企業というのは与えられたルールの中で利益を最大化するように行動する機械で、
> それに倫理や社会的責任を求めるのは、まあナンセンスだろうなと。
三方よしって知ってる?
Re: (スコア:0)
それが蔑ろにされている世の中じゃぁ(法や規制で縛るって事になっても)仕方ないよね、っていう意見でしょ。
世の中には(しかもグローバル化で果てしなく広くなっちゃった世界には)、色々な人や考え方があるって事ですよ。
かつての近江商人の心意気が素晴らしいものであったという事は事実ですし認めもしますが(いや寧ろ個人的には大好きな考え方ですが)、今の世の中は、それをコストとして商品価格に乗せることが常識という世界ではないようですから。悲しいことですよね。
Re: (スコア:1)
近江商人が活躍した時代でも、利害関係は一筋縄ではいかないものだったと思います。
それをひっくるめて「世間よし」に込めた見識はなかなかだと思いますし、
実際、周囲を蔑ろにする商人も少なくなかったでしょうから、理念として
今まで伝わっているのだと思います。
AIJなどを見るにつけても、法律や規制で縛るというにも限界があるでしょう。
システムとして完全なものは望むべくもなし、やはり規制と啓蒙の双方に
バランスよく頼る社会を目指すべきだと思います。その意味で、安易に規制に頼ろうとする
考えにも危惧をもちますね。
Re:無理やり美談に仕立て上げなくても(オフトピごめん) (スコア:0)
#212949 [srad.jp]のACです。
嫌みでも何でもなく、それが理想ですよね。
全くもって同感です。
ホントなら、法律やら規制やらがなくてもスムーズに廻ってくれれば何にも言うことなし、なんですけど。
でも、人間って生き物は、そういうレベルには行き着いていないし、おそらく本質的にそういう生き物ではないのでしょう。
だからこそ理念を掲げたり啓蒙したり、それでも間に合わなくて法律を作って執行し、規制を作って制限を掛けざるをえない。
# これを、様々な考えがある中で利害や感情の対立を解消する「立派な知恵」と見ることも出来ますし、その通りだとも思いますが、
# もっと掘り下げれば「要らない知恵」でもあるのではないか…などと思ってしまうのは、まぁ中二病チックな理想論として(笑)。
ただ、かつての近江商人とは違って、今の商人は、隣近所に野菜を供給するだけの八百屋ですら、世界レベルの戦いをしなきゃいけないんですよね。
例えば隣の街に大規模店舗が出来たり、国外からの卸売りや小売が進出してきたり…(某コストコの進出なんかもありがたいやらありがたくないやら。笑)。
言ってみれば、その考え方を啓蒙しなきゃいけない世間の広さが昔とは桁違いに広がっているんですよね。
なので、法規制は最後の手段だったとしても、その閾値はかつてのローカルレベルでの商行為がメインだった時代よりも大幅に下がらざるをえないのではないか、というのが私の意見です。
地球上に国境が存在し、国毎に様々な考え方や教育があり、教育のベクトルもレベルも様々である以上、その地球上での共通のルールというのは、モラルが一番高いところではなく一番低いところにあわせざるをえない…という感じでしょうか。
元の話題に戻れば、(件の電力会社が誰と戦い、誰の利益を守るのかはさておいて)ある程度の規模の企業(おそらく近江商人の事業規模よりも大きいものでしょうし、構成人員も多くなることでしょう)に対して、理念や啓蒙だけで良い方向に進むように仕向けるというのは、ちょっと難しいような気もします。
なので、仰るように闇雲に規制に頼ることは避けつつも、やはりある程度の規制で「理念」を実現するように仕向けざるをえないんじゃないかなぁ…という元コメの意見にも賛同せざるをえないというのが悲観的な現実なのかもしれません。
あまつさえ、対象の企業が「権力者とズブズブで、自身に都合の良い規制自体を作り出せる側で、地域独占を権力者から許された企業である」という事実を見てさらに悲観的になってしまうのは、私が「権力は必ず腐敗する」という歴史認識を持つ人間だからなのかも知れませんが…。