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法律ってのは純に政策的な取り決めから道徳的な色合いが強いものまで幅広くある。例えば自動車の左側通行は右側通行より善き事だからそうしたわけじゃない。単なるルールでそういう法律は社会的なツールに過ぎない。一方で、約束は守るべきだ、とか、人を殺してはいけない、という道徳を体現している法律も存在する。さらに社会的なツールとしての法律も法律は守らないといけないという規範意識などによって、 道徳的なルールに変容していくこともある。
著作権法には勝手に他人の作品に手を加えたり盗作したりするな、という道徳的なルールから、文化の発展というか産業の振興のような気もするけど、そういう政策的なルールも存在する、ように見える。私にはそう見えるのだけど、前者も政策的なものに、後者も道徳的なものに見える人もいるだろう。業界にとってはお金の流れ(政策的なルール)が問題なのだけど、率直に言うと受け入れられないので、出来るだけ道徳的な観点を付け加えて発現したほうが得だ。道徳的な分野はネゴシエーションに適さないので 声の大きいほうが勝つだろう。
ユーザ側はそもそも何が問題なのか、それがどういう問題なのかが人によってばらばらだ。自分は貴方にはお金を払いたくない、という私にとっては政策的なルールについての問題を、政策的に、道徳的に捉えて発言する人がいるし、コピーは自由に出来るべきだ、という私にとっては道徳的なルールについての問題を、政策的に、道徳的に捉えて発言する人がいる。もちろんこういう立場の差はリニアにばらけているだけなのだけど、活動するとなると離散的にならざるを得ないように思える。つまり業界(の権益)を排斥するか、業界と協議していくかになる。だから相手の発言がどういうものなのかに気を付けると同時に、自分の横に立っている人の発言の種類にも気を付けないといけない。特に業界と交渉していくのならそれが主張なのか、交渉相手に向けたメッセージなのかを見極める必要がある。必要なのは打ち負かすことじゃなくて、到着地点を見つけることだからね。今のユーザ側は大同団結というか付和雷同な状況で、私達は今は政策的なルールについて話したいので、道徳的な議論がしたいのならそれはあっちでしてください、みたいな選別をも少しするべきじゃないか?それをしなくても活動していけるのかもしれないけど。
書いているうちに元コメントと関係なくなって、何が言いたいのかも分からなくなっちまったけど、まあいいか。元の抑制的な発言の志方を綺麗に思ったので。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
とあるアニメのリミックスCDでは (スコア:3, 興味深い)
それでもオリコン2位です(その行為自体を肯定するつもりはありません)。
その動画にはこのCD買う、というコメントがたくさんついています。
はたしてこれがニコニコ動画にのっていなければオリコン1位だったでしょうか。
ニコニコで聴いて気に入って買う人数<ニコニコで入手できるから買うのやめた人数、
だったのでしょうか。">"だったとしたら、著作権者がより儲かって、多くの人にCDが聴かれても
それでも著作権侵害だからよくないことなのでしょうか。
そもそも著作権法は権利者の保護以外の何かのためにある、ということでしょう
Re:とあるアニメのリミックスCDでは (スコア:1)
法律ってのは純に政策的な取り決めから道徳的な色合いが強いものまで幅広くある。例えば自動車の左側通行は右側通行より善き事だからそうしたわけじゃない。単なるルールでそういう法律は社会的なツールに過ぎない。一方で、約束は守るべきだ、とか、人を殺してはいけない、という道徳を体現している法律も存在する。さらに社会的なツールとしての法律も法律は守らないといけないという規範意識などによって、 道徳的なルールに変容していくこともある。
著作権法には勝手に他人の作品に手を加えたり盗作したりするな、という道徳的なルールから、文化の発展というか産業の振興のような気もするけど、そういう政策的なルールも存在する、ように見える。私にはそう見えるのだけど、前者も政策的なものに、後者も道徳的なものに見える人もいるだろう。業界にとってはお金の流れ(政策的なルール)が問題なのだけど、率直に言うと受け入れられないので、出来るだけ道徳的な観点を付け加えて発現したほうが得だ。道徳的な分野はネゴシエーションに適さないので 声の大きいほうが勝つだろう。
ユーザ側はそもそも何が問題なのか、それがどういう問題なのかが人によってばらばらだ。自分は貴方にはお金を払いたくない、という私にとっては政策的なルールについての問題を、政策的に、道徳的に捉えて発言する人がいるし、コピーは自由に出来るべきだ、という私にとっては道徳的なルールについての問題を、政策的に、道徳的に捉えて発言する人がいる。もちろんこういう立場の差はリニアにばらけているだけなのだけど、活動するとなると離散的にならざるを得ないように思える。つまり業界(の権益)を排斥するか、業界と協議していくかになる。だから相手の発言がどういうものなのかに気を付けると同時に、自分の横に立っている人の発言の種類にも気を付けないといけない。特に業界と交渉していくのならそれが主張なのか、交渉相手に向けたメッセージなのかを見極める必要がある。必要なのは打ち負かすことじゃなくて、到着地点を見つけることだからね。今のユーザ側は大同団結というか付和雷同な状況で、私達は今は政策的なルールについて話したいので、道徳的な議論がしたいのならそれはあっちでしてください、みたいな選別をも少しするべきじゃないか?それをしなくても活動していけるのかもしれないけど。
書いているうちに元コメントと関係なくなって、何が言いたいのかも分からなくなっちまったけど、まあいいか。元の抑制的な発言の志方を綺麗に思ったので。